【中国ナウ】3/5 中国政府系シンクタンクの専門家は、日本の迷走する政治・経済を反面教師にしている
日本人よ、アジアの範たろうとの気概をいつ失った
迷走する政治・経済を反面教師にされて恥と思わないのか!
JBPRESS 2010.06.09(Wed) 加藤 嘉一
(中略)
中国の高校生は「国際戦略なんですか?」
昨日、筆者が教師を務める中国人民大学付属高校の学生たちと日本の政治について議論した。学生たちは、テレビや新聞が扱うテーマは基本的に網羅していた。
「先生、国際サミットでは日本の首相だけがいつも代わりますよね。あれって何か裏があるんですか? 作戦なのかな?」
中国と主導権を争う、アジアの大国として地域の発展をリードするなどと粋がる前に、まずはこれらの質問に言動で答えていく義務が私たちにはあるのではないか。日本自身の問題なのだから。
一言では説明できない。最終的には、首相の政治家としての力量、人間としてのカリスマ性や魅力、つまり「人材の枯渇」という問題に行き着くのだろう。最もミクロ的だが、深刻である。
マスコミの影響も計り知れない。世論調査が政局を操作していると言っても過言ではない。ワイドショーでは政治が娯楽化され、日本国民の民度低下に多大なる貢献をしている。
国民は政治スキャンダルが見たいのか?
新聞の社説はしばしば「国民はバカじゃない」「有権者はそれでは納得しない」と主張するが、そこにある国民と有権者がバーチャルな気がしてならないのは筆者の錯覚であろうか。
国民は本当に「政治スキャンダル」が見たくて新聞を購読し、チャンネルを切り替えているのだろうか。
「失われた20年」という表現は失礼だろうか。大企業はますます海外に生き残りの場を求めざるを得なくなっている。資金や経験に乏しい中小企業は「家なき子」のようだ。
デフレや財政赤字といった経済的問題が、少子高齢化という日本の絶対的趨勢の下、医療・福祉など社会保障の問題と結びつき国民の不安を煽っている。
世界を襲った金融危機という大きな背景も無視できない。円高傾向が続く中、企業の輸出が低迷する、企業収益が落ちる、非正社員が増え、雇用環境は厳しくなり、若者や社会の弱者は路頭に迷う。
中国の日本専門家たちは、「首相は1年以内に代わるけれども、国民の政治生活は何も変わらない。独立した官僚システムが安定しているからだ」と、国民に説明している。それでは、民主党がマニフェストでも掲げる「政治主導」はどう解釈されるべきなのだろうか。
無能な政治家と狡猾過ぎる官僚
安定しない政治が、官僚嫌いの菅首相の指導下で「政治主導」を推し進めた場合、国民の生活は変わる、というアプローチは逆説的過ぎるだろうか。
「日本が政治主導になることはあり得ない。政治家が無能すぎて、官僚が狡猾過ぎるからだ」。長年日本政治を研究してきた政府系シンクタンクの専門家は、筆者に本音を漏らした。
政府上層部に提言する座談会に参加した。その中で、ある研究者が興味深い発言を行っている。「頻繁換相」の根本的な理由は、「日本人が国家の目標を自らの背丈と器に適したカタチで設定できていないからだ」。
この学者に言わせると、吉田茂・元首相の「重経済・軽武装」は絶妙なストラテジーだった。ただ、1980年代の中曽根康弘・元首相あたりから、国内で思想的分裂が発生した。理想と現実、輿論と国力、自信と偏見の狭間で、方向性が定まらないジレンマに陥ったと。
「国家の構造」「戦略的目標」「国民の意識」が三位一体となって、初めて「頻繁換相」に待ったをかけることができるという見方だ。
「世界の中の日本」という視点を常に持て
北京から東京に飛ぶたびに考えさせられる。日本の若者の引きこもりが気になって仕方がない。しかも、自宅に引きこもるなどという生やさしいものではない。若者全体が外に目を向けない、日本の中に引きこもるという意味だ。
「世界の中の日本」という視点で己を客観視しないということだ。「自分さえよければいい」と威張るのであれば、なおさら海外に目を向けるべきだ、信念を持って。そこに日本の未来があるのだから。
加藤 嘉一 Yoshikazu Kato
1984年静岡県生まれ。現在,国費留学生として北京大学国際関係学院大学院に在籍。中国人民大学附属高校教師。同時通訳。中国メディアでコメンテーターを務める。年間100以上の取材を受ける。英フィナンシャルタイムズ中国語版コラムニスト。香港系フェニックスニューメディア(鳳凰網)における自身のブログは2008年3月開設後、3ヶ月で500万、半年で1000万アクセスを突破。最新の訳書に『日本走向何方?』(中信出版社)、単著に『以誰為師?』(東方出版社)がある。